とある情報教師の独り言 #2

高等学校の教科『情報』の光と影

10年という月日

もう10年も経ったのか、という感覚ですね。

 

少し自分のことを話しますと、10年前はある私立高校で数学の非常勤講師をしておりました。今の時期は授業もなく、本来なら出勤の義務はないのですが、赤点の生徒を呼び出して再試験の指導をしていました。仕事も終わり、帰宅しようと思った矢先に地震が起こりました。まさに経験したことのない揺れ、でしたね。

授業日でなかったのが幸か不幸だったのか分かりません。帰宅困難な生徒も少なく、学校としては対応は比較的楽でしたが、登校してなかったがゆえに不幸にあった生徒いました。何が正解かなんて、あの時は誰にも判断できなかったと思います。

そして震災の年というのは、自分が情報科の教員免許を取得し、情報科の教員になった年でもありました。情報の教員になったのは震災は全く関係はありませんが、奇しくも転機の年になってしまいましたね。

 

さて、10年経った今、考えるべきことは何か。

 

新型コロナウイルスの影響で、震災復興もより難易度が高くなりました。人の動きが制限され、被災地を観光地として盛り上げるのも限界が来ていると思います。それ以上に日本や世界全体が自分のことで精一杯で、被災地のことを思いやる余裕などないし、それに期待をしてもいけないのだと思います。

 

ただ、逆にコロナ禍がチャンスなのだと私は考えています。テレワークやオンライン授業など、ICTを活用した取り組みが積極的に行われるようになりました。人の動きが制限さても、今はインターネットがあります。ネットさえ繋がっていれば、人はどこにいても繋がれるのです。

 

テレワークが広まっていけば、住む場所が都市圏である必要もないのです。なぜ過疎化が起こるのかといえば、やはり不便だからです。静かなリゾート地で好きな音楽を聴きながら仕事をするなんてことが、もっと当たり前になれば、過疎化の問題も解決できる可能性があります。

 

いくら施設だけ整えたとして、それで復興したとしても、人が集まらなければ錆びれていくだけです。いかに人を集めるか、流出を防ぐというより、人を呼び込むことが重要なのだと思います。震災を風化させないかどうかではなく、震災のことを忘れるくらい発展させるくらいのことが理想ではないかと思います。

 

とはいえ、実際問題、頭の中がお花畑状態の発想ですけどね…

 

このコロナ禍でもテレワークは思った以上に推進されませんでした、東京の感染者が下げ止まりなのも、飲食店どうこうではなく、出勤するために人が動くことを止められないからではないでしょうか。まだまだ会社に出勤するのが当たり前な状況で、大学でもオンラインより対面授業が推奨され始めてきました。うちの県では、オンライン授業など夢のまた夢です。休校になって夏休み期間中に授業があってもいいように、エアコン設備に予算を回すようになりました。オンライン授業さえできれば、そもそも登校しなくていいわけです。もちろん実習系の多い、実業高校ではエアコン設置も大事だと思いますが。

 

災い転じて福となすことが、これからできるかどうか。被災地も含めて、先を見据えた行動が取れるかどうかでしょうね。